2006-08-22

[雑記] 正しい意見なんて珍しくも凄くもないってば

分けて考えられない人がいるようだ。

物事に大まかな定義をつけて人や行動を大きく分けて語る、という手法とネットは相性が悪いのだろうか。
理系脳文系脳みたいな論説が2チャンネルのニュー速+とかにエントリされるとまず荒れる。

和蓮和尚さんの『キャズムを超えろ!』[ネットと人間]数学のテストで『電卓使っちゃいけないの、なんでですか?(c)jkondo』と教師に食ってかかった時点で、文系・理系の適性が決まってしまっている!?が少し荒れている。

特にトラックバックのこれは噴飯モノで酷い

傾向を見ると、ようするに

  • 属性からの演繹で文系理系は分かれない→(多分)真
  • 観察される行動や傾向から、2分化理解は成立することがある→(多分)真

というダブルバインドを理解せずに、この場合は2分化論を叩いているわけだから、前者のロジックだけで叩いている。もちろんこの後者のロジックは真(=正しい)なので「2分化は間違っている」ということになるようだ。

判りやすいから、先程の某トラックバックからこれを晒し上げ

「それでも、俺は文系・理系に二分しないと気がすまない。悔しくて悔しくて枕をかきむしってしまいそうだ」という人もいるかもしれない。そういう方のために長年私が疑問に思っている事を書いておくので存分に語ってほしい。

文系人間はご飯と味噌汁のどちらを先に食べるか


彼には、せめて枕かきむしって恥に耐えてもらいたい。

わざわざ答えてあげるならば、仮に文系人間の多くが恣意的な確率偏差が認められるくらい、味噌汁を先に食べたと観察されてから、この区分が発生するんだよ。

この屁理屈は↓こういうこと。

天気を晴れ、曇り、雨と3つに分けるな!気象の要素のはいろいろあって、湿度とか気圧とか温度とか海水温とか南太平洋の気候も、うんたらかんたら∞∞∞アメリカのメアリースミスさん(誰?)がくしゃみしたかどうかも関係あるんだぞ!

晴れ曇り雨と分けたくてたまらない人は、

晴れた次の日の日本は地震が起こるか起こらないかどっち?


一般人に一番理解されやすいのは、湿度や気圧や雲の様子の細々とした、けど正確な本物のデータではないでしょう。そういう気象現象のファクトではないのだ。

晴れマーク、雲マーク雨マークのどれかか組み合わせに単純化して、アイコンで見せられるのが一番便利なんですよ。

天気も人間の行動もカオス性が高いんだから、晴れとか、文系とか分けられはしないのは、別に青筋立てなくてもとっくに自明なの。

彼らに聞きたいのは、じゃあ、晴れと認識されるものは存在しないのか?間違っているのか?その単純化が商売になるかならないか?
なんでこれに答えないのかね?


これって、共産主義が生き延びた理由と同じなんですよ。

一時は世界中の政治経済学徒がのきなみマルクス派になって理論補完したせいで、ロジックとして共産主義を論破するのはほぼ無理になったんです。
搾取の排除、全体を強く統制した計画経済の効率性、民主主義より圧倒的にコストの安い独裁制。ロジックの権化ですな。

これに対する反論は、

無理。だって人間だもの。

という論理もへったくれもない答えだけど、結局正しかった。少なくとも観察され認識された結果無理らしいということ。

ソ連崩壊から17年…。
いいかげん、「正しいロジックを言ったぞ!わーいわーい」から卒業しようよ。頼みます。


Life is beautiful 愛すべき理科系人間たちより抜粋

3人のアメリカ人がイギリスに来て列車に乗っている。列車がハーズレーという農村地帯に差し掛かると、窓の外に一匹の黒い羊が見えた。

 それを見て、ビジネスマンが言う。「驚いたなあ。イギリスの羊は黒いんだ。」

 するとエンジニアが言う。「それは少し断定的すぎるよ。『イギリスには黒い羊もいる』というのが正しい表現だよ。」

 すると数学者が言う。「正確な表現というなら、『イギリスのハーズレー地方には、少なくとも一匹の、少なくとも右側半分が黒い羊がいる』と言うべきだよ。」

 こんなジョークを面白いと思うのは、私のような理科系人間だけかも知れないが、このジョークには理科系人間の「愛らしさ」が的確に表現されていると思う。

この発想は、文系からは出てこない。文系ジョークというのを知らないのだが、無いということではないかと思う。

あえて分析をしてみる。
あえて、と断るのは意味が無いからだけど。

ただ、文系の目から見ると、理系人間は「自然」対してに使えているんだと思う。
たまたま、数学がこの世の摂理(自然)に合致してしまったという物凄くとんでもない奇跡を目の当たりにした宗教なんだと思う。
藤原正彦曰く、「三角形の内角の和が円の半分に一致することに驚く」というやつだ。
自覚があるかないかは別として、たまたま、自然が、物理が、数学に従うから飯が食えたり学位が取れた人と、この奇跡に不感症な人とは、宗派が違う。
不感症な人は、日本人なら、空気とか社会とかみんなの和に使えている。
空気を読む宗教にも使えているけど、どこか自然に使えている気持ちのある人は、

『イギリスのハーズレー地方には、少なくとも一匹の、少なくとも右側半分が黒い羊がいる』と言うべきだよ。

を考えずにいられない。これをジョークにして、空気宗教派に迎合したり、自然宗教の考え方を頭の中で楽しんだり、マジになったりするかは人それぞれ。

言ってしまえば、文系とは数学的に馬鹿であり、お勉強が出来ないのだろう。
ただし、数学的に馬鹿だからといって、馬鹿であるわけではない。
能力の欠落は能力だからだ。
マクロ思考も出来る人、マクロ思考が得意な人と、ミクロ思考がどうしても出来ない人。似てても違う。
欠落ゆえ大胆な省略とか単純化が躊躇なく出来る場合もあろう。例えば政治家としてならどうか。

で、要は和蓮和尚さんの本筋は、数学に計算機を持ち込むという発想(もしくは数学的欠落ゆえの帰結)をちょっとまじめに考えてしまう、ある意味お馬鹿で勉強できないという性質は、(文意をみるに和蓮和尚さんもその欠落を自覚しておられて)、企画屋になる分岐点じゃないか、ってことなんですよね。
※↑は、言うまでも無いことですが、その欠落ゆえに、一流の企画者として高い能力を得ていらっしゃるという意味ですぜ?御自身でも興味深いのでしょう。

血液型占いという存在にムカつくのは僕もそうです。
ただ、あれは先天的に「分類される」と言っているからムカつくんであって、ここでの文系理系は、例えばITリテラシのある人ない人、とかアキバ系とそうじゃない人とかと同じ。論点になるかならないかであって、和蓮和尚さんがおっしゃる、

これら2者間にミゾ(キャズム!?)があるなぁと感じた


に繋がってオチているので、十分読んで楽しい文章なのだ。


ま、血液型占いにアンチですけど、昔の日本人は野暮という言葉を知っていまして、昔気質な僕は、血液型占い好きな人に青筋立てて食って掛かるような野暮はしませんけどね。(ただし、話がオチてないとおこるけどw)

和蓮和尚さんの『キャズムを超えろ!』のコメントで僕がいたいことをしているのは秘密ですw